山口果林『安部公房とわたし』(届いただけ。まだ読んでない)

ミズカネ 「えー、できてるの? 嘘? 絶対に? 賭けてもいい? あたし、そういうのに疎いの、全然気づかなかった」と言いたがる女がいる。そういう女ほど、ほんとは疎くない。いつも誰と誰ができてる、そんなことばかり考えている。俺がそんな「タイプの女」の男だ。だからわかる、できてる、お前の妹と赤鬼は。賭けてもいい
野田秀樹「赤鬼」(『解散後全劇作』、1998、新潮社)

整理が悪いので、『解散後全劇作』を探すのに、30分もかかってしまった。amazonによると、本の定価は2,310円らしい。初版は1,900円だった。
 
僕は、安部公房が好きで、マニア並みに詳しい。サイン本をもっていないのでマニアではないけれど、関連書はだいたいもってる。
どのくらい詳しいのかというと、町内では、いちばん詳しいんじゃないかと思う。子供の小学校のクラスの父兄のなかでも、指折りに詳しいと思う。そのくらい詳しい。
その僕が、知らなかった。いやあ、驚いた。「へえええええええええっ」って、ひっくり返るくらい、驚いた。
「みんな、知ってたの? 俺、そういうのに疎いからさ、全然気づかなかった」と、周りを見回し、挙動不審になってしまうほどである。
山口果林安部公房とわたし』(2013、講談社)が、amazonから届く。
女優、山口果林との同居生活について書かれた、いわゆる、暴露本というのかしら。ほんとうに知らなかった。「周知の事実」だなんて、言わないでほしい。聞きたくない。


本の帯には、過激なコピー。

「君は、僕の足もとを照らしてくれる光なんだ」
その作家は夫人と別居して女優との生活を選んだ。没後20年、初めて明かされる文豪の「愛と死」

真知夫人との別居は知っていた。娘の真能ねりさんも、そのことは語っていた。
それから、全集の月報では、晩年に近くなればなるほど、安部公房がいかに孤独だったか、ということが周辺の人たちの証言として掲載されていて、だからバカ正直に、箱根の別荘にひとり暮らしをつづけていたのだと思いこんでいた。
山口果林という女優については、安部公房スタジオの初期メンバーであったことくらいしか、しらない。新潮日本文学アルバムには、安部公房スタジオ発足時の紹介パーティーの写真が載っていて、そこには、山口果林の姿もある。
安部公房とわたし』は、届いたばかりで、まだ読んでいなくて、いまは、小林エリカ空爆の日に会いましょう』を読んでいるのだけれど、それはともかく、『安部公房とわたし』の封を開けて、最初の数ページをめくると、安部公房山口果林を撮った写真の数々(ベッドに横たわるフルヌード写真も)や、逆に山口果林が撮った(と思われる)見たこともない安部公房の写真が載っていて、びっくりする。
連想したのは、晩年の未完の小説「飛ぶ男」に登場する小文字並子という女性がヌード写真のモデルをしているというくだりや、『方舟さくら丸』のころからだったか、インタビューや手紙やメモで、「過剰性欲」についてたびたびこぼしていること。
・・・なんか、「暴露本」という語彙と、ヌード写真だけで、僕の連想も過剰反応してしまっているみたい。まだ、中身を読んでもないというのに。
読んだら、また、なんか、書きます。たぶん。