小峰和夫『満州紳士録の研究』

知人がブログで、今年読んだ本で一年を振り返っていたのを読んで、ぼくも振り返ってみることに。
ほんとうにいろいろあって、気が遠くなりそうです。
で、今年読んだ本のベスト1を選ぶと、これです。じゃん。
満州紳士録の研究』小峰和夫、吉川弘文館(2010)



長男が歴史好きで、「ザ・今夜はヒストリー」という番組をかかさず観ていたり(終わってしまったけど)、僕が気まぐれに買い与えた「ビジュアル百科 日本史1200人」という本を絶えず眺めていたり。
自閉症だから(か?)、妙な記憶力のよさで、僕も奥さんもが訊いたことがない人物の生涯や出来事をつらつらと語ったりする。彼にとっては、どれがテストに出るか出ないかなんて、関係ない。
はじめは感心していたんだけど、もう「あー、はいはい」「知らないよ、そんなの」みたいになって、けれども、あるとき、僕が知らなかったことと、その人物が存在したということとは、別のことであるということに思いあたった!
当然じゃん。当然か?
戦中、曾祖母が満州にいて、戦後と同時に引き揚げてきたというのは以前から知っていた。満州事変後に大陸に渡った32万人ともいわれる「王道楽土」開拓者のひとりだと思いこんでいた。
ところが、今年90歳になった祖母から話を聞き、古い戸籍を調べると、曾祖母が満州へ渡ったのは、事変よりも15年あるいはそれ以上もさかのぼるのではないかということがわかってきた。
田舎の漁師町に長女として生まれ育った曾祖母が、どうして満州に渡ったのか。
いろいろな本や資料にあたってみたが、予想していたとおり、曾祖母(あるいはその親族)の名前はでてこない。間東省で料亭や旅館を切り盛りしていたらしい。店の名前はわかるが、史料には見当たらない。
そこで出会ったのがこの『満洲紳士録の研究』で、先に断わっておくが、この本にも曾祖母のことは、一言も触れられていない。では、触れられていないからといって、曾祖母は存在しなかったかというと、決してそんなことはない(そう思わせてくれた一冊だったという意味で、この本はスゴイのだけれど)。
満州紳士録』は、前編が明治40年(1907年)10月、後編が翌年8月に刊行された。編纂兼発行者は、藤村徳一、奥谷貞次の二名。前編245名、後篇159名、計404名が紹介されている「紳士録」である。
植民地時代、在満日本人の紳士録は数種類が発行されているが、『満州紳士録』は「体裁も内容も明らかに異彩を放っていた」。

満州紳士録』では一級の名士はすべて外し、ほぼ無名に近い人物(大半は民間人)のみを紹介の対象にしたのである。つまり登場するのは「小成功者」や中堅的人物ばかりであり、ここのところにこの紳士録の大きな特徴があった。
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明治の書物らしき語り口の文章の中に、被紹介者の出身地・出自・学歴・職歴など、当時の社会移動の実態を知るうえで貴重と思われる多くの事実=データが埋め込まれているのである。

満州紳士録の研究』は、『満州紳士録』の約400人のデータを分析し、世代や学歴、職業別に、社会移動や時代背景を分析した研究書である。渡満者、非エリート者を対象としているところが、とても興味深い。
そうした興味深さとは別に、かろうじて残っていた記録や遺物、あるいはそれらが無いにしても、過去に人々が存在していたということがまぎれもない事実であることを感じることができ、たいへんにおもしろかった。
こんどは、僕自身が、過去の人々の記憶とどう関わっていくかが問題になるのだけれど、それはまたとても難しい問題で、とにかく僕は、調べものが大好きで、喜々としてやっているわけなんです。