『ともにある  神田橋條治 由布院・緩和ケアの集い』(木星舎)

食道がんを患った64歳の父が、横須賀共済病院で、抗がん剤治療を受けたものの効果がみられず、これ以上、この治療病棟でできることはないと言われて、肺炎を起こしていたため、そっこく追い出されるようなことはなかったのだけれど、往診の折には「はやいとこ、退院してほしいナー」みたいな空気がひしひしと感じられて、肩身の狭い思いをしたのが、昨年の5月。
身内の某人は、「どうせ追い出せやしないんだから、ずっと居坐ってやればいいんだよ」と、それまでの病院の対応を怒りに変えて言ったのだけれど、主治医の顔を見るのさえストレスで、出たがっていたのは当の父だから、居坐るのは決して妙案ではない。
じゃあどこへ行けばいいのか。
手の施しようのないがん患者なんて、ウチだけのはなしではないはずだ。みんなどこへ行くのかと、調べてみると、たどりついたのが、「緩和ケア病棟」だった。
おととしの12月に、祖父が87歳で亡くなっている。膵臓がんだったが、入院したときには半月から2か月の余命を告げられ(本人への告知はなかった)、ちょうど1ヶ月で亡くなった。
もっと入院が長くなれば、緩和ケアという言葉を耳にすることになったのかもしれないが、1ヶ月の入院期間で、祖父にほどこされた緩和医療は、痛みを和らげるための麻薬バッチだけである。
父についていえば、ほんとうにできることはないのかと、御茶ノ水の某大学附属病院にセカンドオピニオンを求めたところ、まだ積極的治療は可能だと言われ、転院、治療続行の運びとなった。だから、それ以上「緩和ケア」を調べて頼る必要はなくなった。
けれども、つい半年前まで現役で仕事をしていた64歳の父が、「手の施しようのないがん患者」となり、「緩和ケア病棟」に入るということがどういうことなのか。父はそれを受け入れられるのか。家族は見守ることができるのか・・・
似たケースがあるのかさえ、知るのがこわくて、本を読んで調べるのも避けていた。
地を這うほどに低下した生活のクオリティ、身体的・精神的苦痛、見舞う知人や家族の視線・・・。
遠くない死を待つ日々は、焦燥に駆られるほどの意欲はなく、かといって諦観できるはずもなく、まったく想像が及ばない。
 
『ともにある』は、緩和ケアに携わる臨床心理士ソーシャルワーカーと、神田橋先生の対話(スーパービジョン)をそのまま収録した内容。
神田橋先生の本だという理由だけで購入した。
届いて開くまで、サブタイトルの「緩和ケア」が、父の「どこへ行けばいいのか」のときの「緩和ケア」と同一の言葉だと気づかなかったほどである。
1巻では、3人のがん患者のケースが紹介されている。患者の年齢は50代と40代。皆、父よりも若い。
2巻で紹介されている3ケースは、「乳がん発病から九年半。再発、再再発」、「小学校中学年小児がんの男の子」、「二十代半ば、男性、独身、同性愛者のHIV感染」と、過酷さを極める。
それぞれの患者を緩和ケアで担当する臨床心理士らが、ケースを発表し、それに神田橋先生が所感を述べるのだけれど、あらゆる発言が思慮深く、すばらしい。
なんか、仙人の言葉を読んでいるみたいな本。

この2冊の本は、僕にしてはめずらしく、amazonではなく、出版元の木星舎から直接、購入した。
福岡の小さな出版社らしい。木星舎のホームページ→