隔離日常

気持ちを奮い起こして「どうにかしよう」と動き出したその日、午後になって熱が上がって、気負いすぎて風邪をひいたかと思ったら、インフルエンザB型だとわかる。
タミフルをもらって帰るが、これが、効かない。調べてみると、B型にはリレンザなんだとか。
5日経った今日も、熱は依然37℃台で、胸腹背中の皮膚がぴりぴりする。免疫力が落ちていて、口内炎がいちどに4カ所できている。味噌汁すら飲めない。
明日、よくなる予定。
自室に隔離されながら、中井久夫『アドリアネからの糸』読む。「いじめの政治学」を3回読みなおす。
ひさしぶりに、レコードプレイヤーの蓋を開けて、ナイアガラ「TRIANGLE Vol.2」とクイーンの「Day at the Races」を再生する。
ひさしぶりに、英語の辞書を開く。研究社の『リーダーズ英和辞典』。平成10年に買ったものらしい。かすかに煙草の匂いがした。
  

春よ来い

お正月と云えば 炬燵を囲んで
お雑煮を食べながら
歌留多をしていたものです
今年は一人ぼっちで 年を迎えたんです
除夜の鐘が寂しすぎ
耳を押さえてました
家さえ飛び出なければ 今頃皆揃って
お芽出度うが云えたのに
何処で間違えたのか
だけど全てを賭けた今は唯やってみよう
春が訪れるまで 今は遠くないはず
春よ来い 春よ来い 春よ来い

猪瀬直樹のこと―青春譜

まったく、と言っていいほど、政治のことはわかりませんが、猪瀬直樹がたいへんらしい。
猪瀬直樹の書いた本は、中学生だったか、高校生だったか、けっこう、真剣に読んだ。おもしろかった。『ミカドの肖像』とか『土地の神話』とか。
好きだったのは、『マガジン青春譜―川端康成と大宅壮一>』、『ペルソナ―三島由紀夫伝』、『ピカレスク 太宰治伝』の三部作で、しかし僕は、川端なんて1冊、2冊しか読んだことないし、三島は読まず嫌いだし、太宰はだいたいぜんぶ読んだけどそれほど好きじゃないんだけど、『マガジン』はとりわけ感動的で、『ペルソナ』、『ピカレスク』も、お金を払って買う本として、じゅうぶんにおもしろかった。
当時は、いま以上にお金がなかったから、買って読んだときのうれしさを、よくおぼえている。
親が買っていた『週刊文春』の連載「ニュースの考古学」も、きちんと読んでいた。びしっとしたことを言う人だな、と思っていた。
「役職」ってのは、その人を無能にするためにあるものだという人もいて、僕の個人的な経験では、それは半分以上当たっていると思うのだけれど、要は、「自由さの欠如」、「追い詰められる(ようにできている)」ということなんじゃないか。必然なんだと、思う。
都知事であろうと、中小企業の管理職であろうと。
このあいだ、読んでいた本、曽野綾子日本財団9年半の日々』で、曽野さんが、過去に2回ほど大臣就任を求められたけれど断ったということが、さらっと書いてあって、ああ、このひとは、ほんとうにいい意味での怠け者なんだと思った。「やりたい」とか「断れない」とか、ましてや、「自分にしかできない」なんて、思わないんだな。
立派なことだ。
次回、曽野さんのこと、書きます。
あー、猪瀬さんは、辞任する方向らしいけど、辞めちゃったほうがよいよ。そもそも、石原とつるんでたのが、嫌だった。僕が石原を嫌いなのは、政策うんぬんではなくて(知らないし)、小説がおもしろくないから。
猪瀬直樹、いま、67歳。僕が、彼の著作を読んでいたのは、20年も前のことで、猪瀬さんは50歳ちょっと前か。そんなもんか、とも思う。
マガジン青春譜―』は、感動的におもしろい。いま読んだら、また、どう思うかわからないけれど。そう思うと、曽野さんの本は、いつでもだいたい、おもしろいな。
 

磯崎憲一郎『赤の他人の瓜二つ』

夕飯、これ、つくる。「豚肉とキャベツのミルフィーユ鍋」。
http://cookpad.com/recipe/729015
ただし分量は、豚肉は330g、キャベツは大玉を半分、長ネギ1.5本。材料を入れて煮るだけ。味付けもなし。とりわけて、食べるときに、胡麻ダレか、ポン酢か、柚子胡椒を加える。たいへん、おいしかった。
磯崎憲一郎『赤の他人の瓜二つ』、読む。

読み終えて、なんか、もう、へなへなっとしてしまい、すぐに全身が熱くなって、誰かに知らせなきゃという気になって、友人ひとりにメールして、仕事の人にスカイプのチャットで、「すごいんだよ!」と話しかける。暇だから、1時間半くらい、チャットする。暇だ。
ほんとにすごい本。「なあに、これ?」って、口に出してしまうくらい、すごい。何がすごいのか、書くこともできるのだけれど、書かない。書けないかもしれないから。そのくらい、すごい。
もう、夕飯なんてまともにつくる気になれなくて、豚肉とキャベツと長ネギがあったのでネットで検索したら、「豚肉とキャベツのミルフィーユ鍋」は、材料を投入するだけ。
「豚肉とキャベツのミルフィーユ鍋」を食べながら、いちおう、プロテスタント系の学校に通っている長女が、「最後の晩餐」の話をはじめて、「「最後の晩餐」は、どこで晩餐をしたか知ってる?」と訊くので、「知らない」と言うと、「ルカかマルコの家」と言うので、「嘘だ。聞いたことない」「学校で習った」「嘘ぉ!」。
「ルカかマルコの家」って、友達の家か。
新約聖書の、ルカの章を調べてみると、「水がめを運んでいる男」の入る家だと書いてある(22.10)。「ルカかマルコの家」って、なにを勘違いしたのか?
 

山本直樹『YOUNG&FINE』

この本、どうやって買ったのか、おぼえていないが、1992年が初版で、僕の持っているのは第3刷なのだけれど、やはり1992年だから、僕が15歳のときだろうかと思うのだけれど、15歳というと中学3年生だからそれは違っていて、山本直樹の本をはじめて買ったのは、高校生になってからで、忘れもしない、『BLUE』だった。
あとになって、古本屋で買ったのかと思う、『YOUNG & FINE』。
 
いずれにしても、エロ漫画です。
『BLUE』は、すでに古典的名作の域に入ってしまっているのだけれど、しかし、それにしても、『YOUNG & FINE』の、読んでいるさなかのむずむずするような心地よさは、なんだろう。

今日、どうしてか、『YOUNG & FINE』を読み返して、灰野勝彦の家の離れに住む化学教師の井沢学は、24歳だったと知る(151ページ)。
24歳が、僕より歳上だった時期が、自分にもあったんだと思うと、なんだかなあというかんじになる。
このころの山本直樹は、パソコンではなく、まだ、ペンで漫画を描いている。ペンのタッチが、それはまた、エロくて、よい。
 

トロン

NHKの「プロフェッショナル」という番組、藤子・F・不二雄先生の回を再放送で観る。先日、藤子・F・不二雄ミュージアムに行ったのだけれど、書斎の本棚がきちんと見られなくて、何のための展示だか、と思った。よほど目玉ものの展示でもないかぎり、もういちど行こうとは思わない。とにかく、書斎の本棚だ。
DVDを借りてきて、ディズニーアニメの「シュガーラッシュ」、1982年の「トロン」、リメイクじゃなくて続編の「トロン:レガシー」、観る。共通しているのは、コンピュータ・プログラミングの世界での物語ということ。
  
1982年の「トロン」、とてもよかった。「シュガーラッシュ」は、「モンスターズ・インク」の焼き直し感は否めないものの、まあそこそこ。「トロン:レガシー」は、ひどくつまんなかった。

中島義道『『純粋理性批判』を噛み砕く』読む。わかりやすくて、逆に、「嘘ぉ」と思う。

クララサーカス「Klara Circus LIVE 1985-1991」(おおざっぱに、1988年を思う)

ここんところ、部屋でも車でも、ずっとクララサーカスばかり聴いている。

クララサーカスのCDとDVDは、ほとんどが87年から91年のライブ収録。クララサーカスの彼女たちは、髪を短く切ったり、襟の大きな衣装を着て、僕が10年後にも20年後にも書けないような詞の歌をライブハウスで演奏している。それに、みんなかわいい。みんな僕より10歳くらい歳上なのだけれど、いまの僕よりは10歳以上も歳下で、顔がアップになっても、かわいい。

車に搭載されているスピーカーはとりたてていいものではなくて、むしろふわふわした音質が嫌いなのだけれど、大きな音でクララサーカスをかけながら三浦の海沿いを走っていた。このCDはスタジオではなくライブ録音で、しかもステージのマイクやアンプから直接、音を録っているのではなくて客席からレコーダーで録っているものだから、客席のしゃべり声が、ときどき聞こえる。聞こえるというか、録音されたものとして残っていて、CDに入っている。
CD3曲目の「エンゼル・オーファン」という曲は、クララサーカスの代表曲のひとつらしいのだけれど、それはともかく、曲がまだ盛り上がらない冒頭の部分で、ライブ客の女の子のしゃべり声が「お友だちの友だちで・・・」と言っていて、それが残っている。
CDジャケットの記録だと、1988年4月19日の、原宿「クロコダイル」でのライブで、そこにいた女の子が「エンゼル・オーファン」という曲のはじまるときに誰かと喋っていて、おそらく、「なぜこのライブにきたのか」とか、「メンバーの誰とどういう関係か」とかいう誰かの質問に、「お友だちの友だちで・・・」と応えている。応えているというか、しゃべっている。1988年の4月19日があったのだと思う。原宿の「クロコダイル」という空間にまで想像は及ばないのだけれど、おおざっぱに、1988年を思う。